【自衛隊の基礎知識】アクロバットチーム ブルーインパルス基本の「キ」

こんにちは!
じょーです!!
いつも飛行機や自衛隊について、自分の経験談を交えながらできるだけ分かりやすくその世界をご紹介しています。
急ですが、みなさんは「ブルーインパルス」がどんな部隊かご存知ですか?


なんか、大きいイベントで飛んでくれたりアクロバット飛行を航空祭でやってくれる!
間違ってはいませんがもう少し詳しく知りたくありませんか?
そこで今回は、航空祭や全国各地で行われるイベントに華を添えるアクロバットチーム、ブルーインパルスに関するお話。
すごく有名になりましたけど、知ってるようで知らない「ブルーインパルス」の基礎知識について紹介します!
ブルーインパルスの正式名称と任務
ブルーインパルスはその正式名称が「第11飛行隊」と航空自衛隊で定められています。「ブルーインパルス」という名前を通称だと認識している方も多いですが、これは管制機関と通信するときに使う名前であるコールサインを指しています。
一般的に航空自衛隊の部隊は、日本の防衛や災害派遣などの任務を行なっていますがブルーインパルスは違います。
航空自衛隊のことを多くの方に知ってもらう「広報」を担当することが任務で、国家的行事や航空祭を中心に展示飛行を行なっています。

ブルーインパルスのいる基地
ブルーインパルスは宮城県東松島市にある松島基地に所在しています。
松島基地は海に面しています。最寄駅はJR矢本駅で、航空祭ではここから徒歩で基地まで移動するのが定番ルートとなります。
基地周辺は、地元の東松島市が駐車場を各地に整備しており、気軽に訓練を見学することができます。
ブルーインパルスは宮城県東松島市にある松島基地に所在しています。
松島基地は海に面しています。最寄駅はJR矢本駅で、航空祭ではここから徒歩で移動するのが定番となります。
ブルーインパルスの歴史
ブルーインパルスは1960年に誕生してから大きく3つの時代に分けることができます。
ここでは、これまでブルーインパルスが愛機にしたF-86F、T-2そして現在の愛機T-4が積み上げたそれぞれの歴史のハイライトを紹介しましょう。
F-86の時代(1960〜1981年)
ブルーインパルスは、もともと戦闘機パイロットを育成する第2飛行隊(現在は閉隊)の教官が操縦技術やチームワークなどの向上を目的として誕生しました。
ちなみにブルーインパルスはこの時コールサインに使用した「インパルス・ブルー」からとりました。
- 1960年3月:浜松基地で初めての公式展示飛行を実施(5機体制)。
- 1960年4月:第1航空団第2飛行隊に「空中機動研究班」が発足。
- 1964年10月:東京オリンピック開会式で展示飛行。スモークで五輪を描いた。
- 1965年11月:第2飛行隊解隊に伴い第1飛行隊へ所属を変更。
- 1970年3月:日本万博博覧会開会式で展示飛行。スモークで「EXPO’70」の文字を描いた。
- 1976年9月:5機体制から6機体制に変更。
- 1979年1月:第1飛行隊解隊に伴い第35飛行隊へ所属を変更。
- 1981年2月:入間基地でF-86Fによる最後の展示飛行。
T-2の時代(1982〜1995年)
F-86の退役に伴い、後継機として国産の超音速練習機T-2が選ばれました。
国産機を選んだ理由は、自国の防衛力や航空産業の対外的なアピールだと言われています。
また、所属部隊はT-2で教育を行う第4航空団第21飛行隊に戦技研究班が設置され、引き続き教官パイロットが務めることとなりました。

- 1982年7月:松島基地でT-2で初めての公式展示飛行を実施。
- 1982年11月:浜松基地航空祭で演技中に墜落事故。
- 1983年10月:自衛隊観閲式(朝霞駐屯地)で展示飛行再開。
- 1990年4月:国際花と緑の博覧会で展示飛行。
- 1994年8月:三沢基地でアメリカ空軍のアクロバットチーム「サンダーバーズ」と競演
- 1995年12月:戦技研究班解散
T-4の時代(1995年〜)
T-2の退役が近づくとともに、中等練習機として配備されていたT-4への機種更新が検討されていました。
これと同時に年間20回近く展示飛行を行いながら、パイロットの教育を行うことは教官たちにかなりの負担になっていました。
第11飛行隊の誕生
平日は教官、休日はブルーインパルス、そしてその練習は学生教育が終わった後に行うというこれまでの体制は教官パイロットの限界を迎えていました。
たしかに、戦闘機部隊などとは違い緊急発進はしないので昼夜問わず気を張ることは少ないですが、単純に休めるタイミングがありませんでした。
そこで、航空自衛隊はT-4練習機に機種更新するタイミングで、これまでの「部隊の一部署」という立ち位置から「正式な部隊」として広報を主な任務とする第11飛行隊を発足させるに至りました。
第11飛行隊の歴史
- 1996年4月5日:T-4による公式展示飛行を開始。(防衛大学)
- 1997年4月25・26日:初の海外遠征を実施。(アメリカ ネリス空軍基地)
- 1998年2月7日:長野オリンピックで展示飛行。
- 2002年6月5日:2002 FIFAワールドカップ開会式で展示飛行。
- 2011年3月11日:東日本大震災発災、松島基地が被災により使用不能となり、展開先の芦屋基地で訓練を再開。
- 2014年5月31日:SAYONARA国立競技場FINALで展示飛行。
- 2015年:T-4ブルーインパルス20周年
- 2016年8月28日:松島基地復興感謝イベント(6年ぶりに松島基地において展示飛行)
- 2020年3月20日:松島基地で東京オリンピック及びパラリンピックの聖火到着式を実施。
- 2020年5月29日:新型コロナウイルスに対応する医療従事者らへの敬意と感謝を示すため、東京都心上空を飛行。
- 2021年7月23日:東京オリンピック開会式で展示飛行。
- 2021年8月24日:東京パラリンピック開会式で展示飛行。
- 2025年4月13日:大阪・関西万博で展示飛行。
ブルーインパルスが使う飛行機
ブルーインパルスは、第11飛行隊が誕生してから現在までの間、全国の航空自衛隊基地に配備されているT-4練習機を使用しています。
ただし、ブルーインパルスで使用している機体はスモーク発生装置の追加をはじめとした改修がされています。
ブルーインパルスの機体の秘密
ブルーインパルスで使用するT-4練習機は、他の基地で使用されている同型機とは違い、アクロバットを行うために様々な改修が施されました。
そのため名前も「戦技研究仕様機」と表記される場合があります。
青と白のツートンを基調にした塗装以外に、ブルーインパルスが使用する機体は次の部分が通常の機体と異なります。
・強化型キャノピー
・コックピット
・スモーク発生装置
・強化型主翼前縁
・垂直尾翼とラダー
強化型キャノピー
通常機よりも低空で飛行するブルーインパルスは、バードストライク時の安全性を確保するため、ノーマル機の11mmに比べ、ブルー仕様機は22.4mmと厚くしています。
あわせてフレームの強度も強化。
コックピット
基本的な配置は通常のT-4と同様ですが、アクロ仕様の様々な装備を追加。
例えば、操縦稈には人差し指の位置に、スモーク用のトリガーがあるほか、低高度警報システムの警告灯、スモーク動作灯、ラダーモード表示灯などがついています。
強化型主翼前縁
低空飛行が多いブルーインパルスは、バードストライクでの破損を防ぐために、主翼前縁内部の構造が強化されている。
スモーク発生装置
スピンドルオイルと呼ばれるオイルを、エンジンの排気へ吹き付けて不完全燃焼させることで白いスモークが発生する。
垂直尾翼とラダー
垂直尾翼にポジションナンバーを記しており、簡単に付け替えが可能。
ラダー(方向舵)は通常のT-4よりも作動角が大きく、通常が5~10度の範囲で作動するのに対し、アクロ機の場合はラダーの効きを良くするために10~15度の範囲で作動する。
戦闘機じゃなくて練習機を使う理由
ブルーインパルスは先代の第11飛行隊が設立される前の1982年から、パイロットを育てるための「練習機」と呼ばれる種類の飛行機を使用しています。
ちなみに、アメリカ空軍のサンダーバーズや同海軍のブルーエンジェルス、中国空軍の八一飛行表演隊のようなアクロバットチームは戦闘機を使用しています。
ブルーインパルスが練習機を使う主な理由として、自国の防衛力や航空産業の対外的なアピールと言われていますが、個人的には違う側面もあると解釈しています。
それが「人事とコスト」です。
現在ブルーインパルスで勤務するパイロットを見ると、全員戦闘機のパイロット出身です。
航空自衛隊では現在3機種(F-2、F-15、F-35)を運用しており、これらのパイロットが共通して操縦した経験がある機種がT-4で、戦闘機部隊では訓練の支援などをする連絡機として少数配備されています。
そのため、戦闘機パイロットならT-4練習機の操縦を熟知していると言えるでしょう。
また、たびたび「国産のF-2戦闘機をブルーインパルスに!」という動きが検討されますが、機体のコストが高い・人事に偏りが生じるなどのマイナス面が現状より際立つので見送られます。
歴代のブルーインパルス使用機
これまでブルーインパルスはF-86F、T-2、T-4という飛行機を使用しています。
F-86F
1960年にブルーインパルスが結成されると、F-86Fがその初代使用機として採用され、白と青を基調とした専用塗装が施されました。
航空祭だけでなく、東京オリンピックや1970年の大阪万博などのビッグイベントで華麗な編隊飛行やスモークによる描画などを披露し、日本の航空ファンに強い印象を残しました。
そのうちの1機が浜松基地にあるエアパークに展示されています。
T-2
F-86Fの後継として1982年から1995年まで使用していた国産ジェット練習機。
T-2は日本初の超音速機であり、強力な推力と高い運動性能を活かして、よりダイナミックで複雑なアクロバット飛行を可能にしました。
多くの航空祭で展示飛行を行い、ブルーインパルスの技術と演目の進化を象徴する存在でした。1996年にはT-4中等練習機に機種更新され、T-2はその役割を終えました。

現在では、JR仙石線鹿妻駅や石川県立航空プラザなどに機体が展示されています。
ブルーインパルスが披露する演技
ここではブルーインパルスが行う演技について、課目の名前や内容について紹介します。
ブルーインパルスの演技は、6機で行うさまざまな編隊での演技とソロ機の演技をテンポよく組み合わせているところが特徴です。
隊形の名前
ここではブルーインパルスが行う編隊飛行の隊形について、代表的なものを紹介します。
デルタ
最も代表的なフォーメーションで、6機で三角形を形作ります。

フェニックス
2014年に初めて披露されたフォーメーションです。
2011年に東日本大震災で被災した松島基地の復興イベントの際、復興のシンボルとして誕生しました。

ダイヤモンド
機で縦横2機ずつ並び菱形を作るフォーメーション。

ブルーインパルスの隊員について
ブルーインパルスこと第11飛行隊の隊員は主にパイロットと整備員で構成されています。
運用しているT-4練習機がイルカのようなフォルムをしているため、非公式ながら「ドルフィン」のあだ名がついており、それを合わせた愛称がそれぞれの配置の呼び名になっています。
ドルフィン・ライダー
ブルーインパルスのパイロットは「ドルフィン・ライダー」と呼ばれています。
彼らは全国各地の戦闘機部隊から選抜され、全国各地で展示飛行を行います。
ブルーインパルスでの任期は3年と決まっており、その間に訓練や展示、そして後任者への伝承を行います。

ドルフィンキーパー
ブルーインパルスの整備員のことを「ドルフィン・キーパー」と呼ばれています。
普段はT-4の整備作業を行なっていますが、展示飛行の際はドルフィン・ライダーとともにキビキビとした動きを披露します。

おわりに
ブルーインパルスに関する基礎知識ということで、部隊の歴史や機体の特徴などについてまとめて解説しました。
パイロットや機体に関してはよく取り上げられますが、それ以外のことは意外と知らないことも多いかもしれません。
ちなみにブルーインパルスは、地方創生の一助にもなっています。
松島基地がある東松島市のふるさと納税がその例です。
東松島市の返礼品には、食料品だけでなくブルーインパルスグッズもあるのでぜひ一度見てください!