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こんにちは!ジョーです!! 航空学生時代の思い出第16弾!
自衛隊ならではの卒業旅行のようなフライト、「修業フライト」と「ウイングマーク授与式」の思い出についてお話します。
浮かれた気持ちも抑えきれませんがそこは自衛隊!様々な訓練が待っていた!!
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初体験がたくさんの修業フライト
203教空の最後の訓練として場外飛行場への長距離航法訓練が計画されます。これを通称「修業フライト」 と呼んでいます。いわゆる学校の修業旅行と訓練を兼ねたようなイメージを持っていただければいいかと思います。
普段は慣れない飛行場へ訓練をしながら向かうのですが、慣れない分事前準備をしっかり行わなければ最悪事故へつながりますので同期で手分けしながらフライトの準備を進めていきました。
初めての長距離航法
私が修業フライトで向かった目的地は南国の「那覇基地」でした!!
ご存知の通り最前線の基地でかつ、併設される那覇空港は日本有数の巨大ハブ空港です。
下総航空基地も羽田空港や成田空港に挟まれるように位置しているので多くの離発着機を縫うように避けながら飛行しますが、那覇基地は航空・陸上自衛隊や海上保安庁、民間機と非常に多くの飛行機が離発着するため、それらの航空機への管制指示が絶え間なく流れます。
そのため、その管制の流れを乱すと多くの民間機などに影響が出るため、ルートや進入方式だけでなくメジャーな管制の流れなども含めて教官からレクチャーを受けます。
たまたま、私のいたクラスの担任にあたる教官が那覇基地勤務経験者であったこともあり非常に細かく教えていただきました!
また、那覇基地へ向かうルートについて通常このような航法訓練の場合、最も効率的なルートを選定するので約3時間で到着しますが、TACCO等他の配置の訓練も兼ねて行うため、わざと遠回りして那覇へ向かいましたので5時間ほどかけて向かいました。
初めての巨大空港
那覇基地へ近づくと「那覇アプローチ」というところへ通信し着陸の管制を受けます。今回の航法訓練は少し特殊で、通常他基地へ行くときは旅客機と同じく離陸から着陸まで一貫してIFR(計器飛行方式)で飛行しますが、道中で訓練を行うため途中でVFR(有視界飛行方式)へ切り替えていました。
そのため、那覇基地へ進入するために改めてIFRに切り替えつつ、たくさんの旅客機に混ざり着陸進入に入ります。
その時に驚いたのは、進入する他機(トラフィック)が多く管制を受けるため、管制官へ通信を取る暇がないことです。管制官が指示を出し、指示された航空機のコパイロットが返事をするということが延々と繰り返されているので、なかなか話しかけられずわずかな通信の隙間を聞き取ることが大変でした!
那覇基地へ着陸すると、沖縄独特の潮風を感じながらたくさんの大型旅客機がそばを通るところを見つつ飛行後の点検をしていました。
今まで、展望デッキから眺めていたB747やB777をわずか数十メートルの距離から見る光景は非常に新鮮でした!思わず同期と手を振っていたことが印象的です。
フライトだけじゃなかった!数多くの研修
フライトを終えると早々に荷物をまとめて宿泊先へ向かいました。
※通常の出張では外来隊員向けの宿舎を手配することが多いのですが、今回は人数と他の部隊が利用する予定もあったらしく沖縄市内のホテルにて泊まることができました!!
1日目の訓練はこれで終了!
ここからはいわゆる課外授業(自衛隊では基本的に「研修」と呼びます。)がスタート!2日目から基地内の施設見学や沖縄各地の歴史に触れながら自衛官の素養教育として歴史を中心に学んでいきます。
フライト後の重大発表
1日目のフライト後、身支度ができたところでパイロットとTACCOのクラスは教官と合同で沖縄市内の居酒屋で飲み会になりました。基本的には労をねぎらうことがメインでしたがここでは伝統的にとある重大発表が行われます。
それは・・・卒業後、部隊実習先となる部隊の発表です!!
行先は「那覇・鹿屋・厚木・八戸」の4基地から事前に学生たちへ希望を募りつつ教官や部隊側の状況等を考慮し決定されます。※自衛官の正式な異動として後日辞令が交付される。
私がどの基地になったかは秘密ですが、当時はサプライズ企画としていきなり始まったため、みんな心の準備ができる間もなく実習先が発表されていました。
最も大事にしている歴史教育
海上自衛隊では様々な教育課程で様々な史料館や民間企業への研修が行われます。特に重視していることが歴史教育にまつわる研修です。特に海上自衛隊は文化的ルーツが旧帝国海軍時代から受け継がれており非常に歴史が長いです。
また、日本の戦争に関連する歴史教育に関しては教科書には書かれていないことも多く、当時の史実などに触れる機会を作り国防に関する意識を向上させる目的で様々な土地へ行きます。
今までに「回天記念館」や高杉晋作が眠る「東行庵」等へ研修へ行きます。
今回は沖縄ということで太平洋戦争での大激戦「沖縄戦」について学ぶため、ひめゆり平和記念資料館などへ行き、沖縄防衛に尽力した方々や被害に遭われた方々に対し全員で黙とうを捧げつつ、歴史は繰り返すまいと胸に秘めながら沖縄の土地を後にしました。
胸に光る誇り「ウイングマーク授与式」
沖縄への修業フライトを終えるといよいよ修業式と実習先の部隊への異動に向けてバタバタと準備が始まりました。
特に荷物の搬出や実習先の部隊への挨拶、飛行機のチケットの手配等を授業や修業式のリハーサルの合間に行います。
修業式が終わるとすぐに実習先の各地の部隊へ散らばるので、式が終わり次第着替えて出発というところもあるくらいでした。とはいえ、今回の修業式は入隊以降続いた数年に及ぶパイロットへの道の一区切りとしてウイングマークが授与される式なので盛大に行われます。
前日には私も含めて学生の修業を祝い、外部の支援者や父兄を招待し基地内でレセプションも行われました、
修業式前夜
修業式の前日は最後のリハーサルを終えたあと、下総基地内の各部隊へ今までのお礼を伝えるためあいさつ回りを行います。
あいさつ回りが終わると一息入れつつレセプションと翌日の修業式へ向けて制服のアイロンがけや靴磨きをして身だしなみを整え準備完了!
今は基地内にあるのか分かりませんが、私が在籍した当時は基地内に居酒屋チェーンが出店していたので、こちらに協力していただき食事は提供され、教育航空集団司令官や近隣の支援者、父兄から盛大に祝っていただきました。
ウイングマーク授与式
修業式はパイロットだけではなく、TACCOやセンサーマンなどの各課程の学生とも合同で行いました。
パイロットやTACCOは金色、センサーマンなどは銀色のウイングマークを修了証書と併せて授与され、航空学生入隊からおよそ3年半に及ぶ教育訓練を終え部隊へ巣立つ時を迎えました。
私は当時の司令官から胸にウイングマークをつけていただいたときに、司令官からこそっと「おめでとう!」と言われて心の中で唸っていました。
修業後は「学生」という立場から卒業し、部隊で「見習い」として実戦を経験しながら部隊での「仕事」を学び、立派な戦力としてより腕を磨いていきます。
ここまで来ても道半ば、まだまだ1人前になるまでには学びと経験を積み上げていきます。
おわりに
とうとう教育部隊での教育を修業しウイングマークを取得しました。
しかし、これは一つの区切りではありますが終わりではありません。これからはコパイロットで勤務しつつ部隊での厳しい訓練や実戦経験を積みつつ、デスクワークなども学んでいきます。
ちなみにこの時で大体22~23歳くらいです。この年齢で最前線へ飛び出し先輩にイロハを教わりながら様々なフライト・研修などを経験し自衛官ないし社会人として一回りも二回りも大きく育っていきます。
知っているようで知らない、航空学生がパイロットになっていく裏側についてお話させていただきましたがあくまで私の経験談です。
今現役の学生や私の先輩方は少しずつ違う部分もありますが、その時代に合わせて少しずつ効率化などを行いつつ様々な分野で進化を続けています。
ただ一つ共通していることは、高校や大学などでは得ることの無かった強い絆と体験を伴った教養を得たことです。
パイロットになる道は現在、少しずつ多様化してきましたが航空学生は航空業界や自衛隊内では一大ブランドになるコースです。
そのため、パイロットになりたい方がいれば是非ご検討ください!
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